初めまして、アイという名でブログ運営をしているものです。

ここでは、ボクがこのブログを立ち上げたきっかけやボクの過去のなんかを話していこうと思います。

これを読んでもらって、ボクことアイのことを分かっていただけたらなーと思います。

それでは、始まります。

 

ーーーーーーーーーーアイ物語ーーーーーーーーーーー

ボクが視力が悪くなりだしたのは中学1年の中盤からです。

ですので、まずは視力が一番良かった時期小学校の時から話を進めていくとします。

 アイ小学生 〜すべてがクリアで彩りがあった時代〜

小学生のときのボクは、とにかく健康的ですごく元気がよかったのを覚えています。
健康の申し子のような存在でした(笑)

大きなケガ、病気もなく何不自由なく生活していました。

視力なんかもこのときは違和感がなく毎日楽しく送っていました。
授業なんかも、黒板が見えにくいということもなくどこの席からでも問題なく先生の書く文字が見えていました。

このときの視力はおそらくかなり高かったと思います。
(1.0とか1.2とかそんな数値まで図るような視力検査ではなく、1.0まで見えたらOKというような視力検査方法だったので細かい数値までは分かりません)

一番印象に残っているのは、晴れの時いろんなものが濃く見えてしまい目が疲れる。
眩しすぎて目が開けられないというようなことがありました。

ですので、晴れよりも雨の方や曇りの方が好きでしたね。

特に何不自由なく楽しい学校生活を送れていました。

 

そして、学年が上がっていくうちに不思議なことが増えていくようになるんですね。

その不思議なことはというと、

まず、

昼休み外で友達とドッジボールをしているわけですよ。

そしたら、

友達が「アイ、今なん時」と聞いてくるわけですね」

それで、ボクは時計見て

「1時15分。あと15分くらいで昼休み終わるよ」

と答えたんですね。

そしたら友達が「ありがと」

と言ってまたドッジボールに集中しだすんですね。

「いったいなんだったんだ?なんでそんなことを聞いたんだろう(・・?見ればわかるくね?」と思ったわけですよ。

 

まぁ、あまり深く考えずドッジボールに集中したんですけどね。

 

次に、ノート見せてと言われる回数が各段に増えたことですね。

中には、授業中遊んでいる人もいたのですが、

ボクよりも頭のよかった子までノート見せてと言ってきたんですね。

正直ボクは、ノートを見せるの嫌だったんですね。
なぜなら、だれよりも自分の字が汚かったから。
ですから恥ずかしかったんですね。

バカにされるんじゃないかと内心ひやひやしながらノートを見せていました。

 

一番謎と思っていたのは
連絡帳の時間割を書く欄があるじゃないですか。
あれを写させてと言ってきたんですね。

は?後ろに書いてあるやん。

と思いながらもノーとはいえない子だったので見せてあげていたんですね。

当時は目が悪い人の気持ちやら苦労というものを知らなかったんですね。
だからこそ、謎の行動とひとくくりにしていたんですね。

このときを思い返してみて、見せて上げれていて本当にホッとしています。
めんどくさいからとか、

書いてあるんだから書けるでしょ。

といった身もふたもないことを言って見せない。
なんて意地悪をしなくて本当によかったと思っています。

このときは、健康で何不自由がないことが当たり前だったんです。
耳が聞こえないだとか、目が悪いだとか考えていなかったんですね。

耳がいい、目がいいのは当たり前。
それが小学校の時のボクの価値観でした。

 中学時代 〜見えないという恐怖〜

中学に上がって少し大人の階段をのぼったことによる自己満足に浸る間もなくボクは速攻でイジメの標的なされました。

授業中、消しゴムのカスは投げられるは、前の席のいじめっ子が後ろ振り返って「うぇーい」

とか言って頭をはたいてくるは、授業中ノートを取っている時、前のいじめっがボクのノートに落書きしてくるはでホントに毎日が苦痛でした。

そんないじめが半年くらい続いてすこし違和感を覚えます。

「あれ。黒板の字が良く見えない・・・前の奴の背が高くて邪魔だな…」

と思うようになるんですね。

決して自分の目が悪くなったなんてことは思っていませんでした。
字が見えないのは前の奴のせいだと決めつけてしまっていたんですね。
このときすでに視力が落ちているともしらずに・・・・

そして、身体測定の視力検査の日。

みんな視力検査のCが見えているんですけど、ボクだけ見えなかったんですね。
このときになってやっと自分の目が悪くなったんだと自覚したんですね。

戦慄したのをよく覚えています。
正直泣きそうでした。

この日は、学校で泣かないように我慢することだけに集中しました。
学校の給食の時もあまりのショックでご飯がのどを通りませんでいした。
普段、給食を残さないボクが給食を残したことに多少違和感があったらしく、
「アイが残しすの珍しいな」といった注目を浴びたのを今でも覚えています。

泣くのを我慢して我慢して我慢して家に帰った瞬間大泣きしました。
かなりショックでした。

今まで、見えるのが当たり前だったのが見えなくなったんです。
それに、自分だけが見えないんじゃないかという不安もあったんですね。

自分の身体が少しづつ壊れて言っているんじゃないかという恐怖。
いままで、見えていたクリアな世界をもう取り戻すことができないという絶望

それらが合わさってボクの心をどんどん蝕んでいきます。

そして、ボクがこのとき聞きたくなかった

「視力は戻らない」

という言葉でした。

ボクの心はボロボロで「視力は回復する」と思い込むことでなんとか心の均衡を保っていられるような状態でした。

だからこそ、視力は回復すると周り(友達)に言っていたんですね。
そしたら「視力は落ちたらもう戻らない」だとか「近視は治らん」と言った友達とはよく口喧嘩をしていました。

それだけ、ボクは視力に誇りを持っていました。
だからこそ、ボクは、ありとあらゆる視力回復方法を試しました。
マジカルアイもやりましたし、
2万円するアイサプリという視力回復する商材も誕生日に買ってもらいましたし、
目の周りのツボもやりました。

面白いものだと、体にオーラを送って視力を回復するなんてものをやってきました。
ほんとありとあらゆる視力回復に関することを試しました。

どうしてそこまでしたかというと、

さっきも言ったと思うのですがまず第一に、視力に対して絶対の自信があり誇りがあったんです。
だからこそなんとしてでも元に戻してやろうと思ったんですね。

代二に眼鏡をかけるのが嫌だったんですね。
眼鏡をかけると見た目が悪くなって。
ブサイクに見えてしまうと思ってたんですね。


眼鏡かけようがかけまいがブサイクに変わりないのに何言ってんだこいつと思いますよね。(笑)

それに、学校だと眼鏡をかけている人の方が少ないから目立ってしまうというのもあったんですね。
当時のボクはかなり恥ずかしがり屋で注目されるとすぐに顔が赤くなってしまうくらいシャイだったんですね。

だからこそ、ボクがとった行動は、眼鏡は作ったがかけない。

というものでした。

一種の反抗でした。

おまえなんかいなくてもボクはやっていける!!
といった具合に断固として眼鏡はかけませんでした。⇒アホですよね(笑)

当然学校では苦労しました。

まずノートをとるのがこんなにも難しいものだったなんて思っていませんでした。

なにより、ボクが嫌ったのは、黒板の文字を1人1人読んでいくというような授業。
ボクにとっては公開処刑でした。

がんばって読むんですけど、詰まり詰まりですし、書いてあることと違うこと言うし、読み間違えて赤っ恥書かくしとシャイなボクにとっては地獄でしかありませんでした。

体育の授業。特に球技を使ったスポーツなんかも嫌いになりましたね。

ボールが見にくいったらありゃしない。

動きもなんかぎこちなくなってしまってうまくプレーができなかったんですね。
そのせいでチームの足を引っ張ってキレられる。

「おまえ、いらん」

「邪魔やで、外でとって」

こんなことをしょっちゅう言われていました。

そのせいもあって体育が嫌いになり始めたんですよね。

ついでに言ってしまうと部活も嫌でした。

僕はバレー部に入っていたんですが、このときも裸眼でやっていたんで、ボールがうまく見えずにチームの足を引っ張っていました。

ボクのせいで負けた試合は数知れません。

そのたびに、先生、コーチに怒られるのはもちろん。

チームの親友もボクを怒り、後輩もボクをバカにするようになりました。

視力が悪くなったことで、ボクの生活が悪い方向に激変していきました。

視力が悪くなった弊害がこんなにもあるのかと半ばあきらめのような感情が湧き出てきます。

逃げてばかりじゃだめだな・・・・ちゃんと向き合って・・・絶対に回復してやる」

そう誓いを立てて、眼鏡を使うことを心に決めたんですね。
ついでにこのときにコンタクトも購入しました。

眼鏡・コンタクトをして抱いた感想は

めっちゃ見えるやん・・・・ということでした。

えっこんなに世界ってキレイだったんだ・・・

とまじでビビりましたね。(笑)

それと同時に思ったのが、
これは作られた世界だなとも思ったんですね。

この視力は、眼鏡・コンタクトによって作られた世界。
偽者の世界なんだ!!

ぜったい自分の世界を取り戻して見せるぜ☆

と厨二全開でこんなことを思っていたんですね。恥ずかし(*ノωノ)

 

物が良く見えるようになったことで学校生活でも変化がありました。
授業が楽しくなりましたね。
今までは、ノートをとるだけでも
一苦労していて先生の話なんて二の次でしたね。

次に人の顔を覚えるのが楽になりました。
近くの場合は問題ないのですが、10メートルくらい離れるとどうしても相手の顔がぼやけてしまうんですね。だからかなり人の顔を覚えるのに苦労しました。

ボクが人を覚えるときはその人の髪型だったり、歩き方だったり、その人のしぐさなんかを記憶して覚えていましたね。
ただ、歩き方だったり、しぐさ。
その人のクセですね。
それを見つけるのにかなりの時間が必要になってくるんですね。

だから、クラスメイトを全員を覚えるのあ大変でした。

普通に半年とかかかりましたもん。

しかも、クセが似ている人も当然いるので何回も名前を間違えて「私違うけど・・・」

とか「それ俺じゃねーよ」とか言われて赤っ恥を書いたこともしばしば。苦笑。

だけど、眼鏡・コンタクトにしたことによってこんな相手のクセを見つけるっていうようなことをしなくても相手の名前を覚えられるようになったのはうれしかったですね
名前間違えるのは地味にダメージありますからね・・・・

次に部活で怒られることがなくなりましたね。

見えるようになったことで超、楽になったんですね。
ボクは1年間目が悪い状態でバレーしてたんですね。
それは、いわば、ハンデを背負いながら戦っていたのと同等なんです。

そのハンデが眼鏡・コンタクトをしたことでなくなったんですね。

これは、もうサイヤ人が地球にきたのと同じで無敵なんですよ。
やっべー超見える。超動ける。ウへェーイ!!です。

 

 

眼鏡・コンタクトをしたことによって改めて目が見える喜びっていうのを実感したんですね。
だからこそ、眼鏡・コンタクトに頼らないで自分の力だけでもう一度この綺麗な世界を見たいと思い。

冒頭にも書きましたが、いろんなトレーニング方法や道具というものを買いあさり、

10年。ようやく自分にあった視力回復方法に出会い。実践しています。

この10年長かったです。
視力について調べていると、どうしても視力は回復しないというようなことが書かれているものに目が行ってしまい。ボクには無理なのかな・・・諦めようかな・・・と思うことも良くありました。

しかし、そんな中でも、視力は回復します。視力回復しました。継続すれば回復しますよ。
と言ったコメントを見て「よし。頑張ろう」と諦めずに視力回復を続けてきたんですね。

そして、少しづつではありますが回復しています。
このときはよっしゃー!!と叫びましたね。

視力は回復できるぞー!!

視力回復できないは嘘だ!!とわかり、
いてもたってもいられなくなり、このブログで情報発信しようと決意したんですね。

ボクのように諦めずに視力回復を望んでいる人がたくさんいる。
そんな人たちの中にもさっきのボクが視力は回復できないと言っている連中の言葉に心を折られて視力回復を諦めてしまう人もいるんじゃないかと思ったんですね。

それだけは何とかしてあげたい。
そうだ、ボクは視力が回復できるというコメント。視力回復しました。というコメントを見て頑張り続けたんだ。
良し、今度はボクがその人たちになろう。
視力回復できるか不安な人に勇気と希望を持ってもらおうと思いこのブログを立ち上げました。

このブログ名は、視力革命。

視力は回復できないという常識を覆してやろうという思いで名付けました。

視力は回復できます。
諦めないでください。
僕も10年間諦めませんでした。

僕と一緒にこのきれいな世界を見ようではありませんか。